すんまへんな
2022年09月22日
大阪言葉 あいうえお
す
すんまへんな
拙攻 抜け出せぬG
代打 若林 バント失敗
巨人も
阪神みたいな事やってる。
巨人 広島 阪神
監督の采配で
決まる
最後の激闘…残り3試合。
こちら道修町研究所
今成主任の得意先まわり
空堀商店街で
『昔 優勝したきりやな…阪神』と
歳とったおばぁさん。
『トラの監督?どない?』と
これまた おばぁさんに
たんねてる。
たんねてる≒聞いてる
そうとう
トラキチのふたり。
これが最後で
『岡田はんやろ…か』
どっちゃにしても
すんまへんけど
こっちが死ぬまでに
『優勝してほしい…わ』と。
星野監督 田淵コーチ
みんな笑顔やった…
優勝パレードの時
御堂筋は 人が多いと
予想して…
堺筋の道修町
あたりで観た…なぁ
あんた…
すんまへんな
『ワテ 行ってないがな…』
もいっぺん(死ぬまでに)
パレードをみたいなぁ…と。
さてさて
いつ実現するのやら…
有力候補のひとり
『岡田さんについて
ちょっと 考えて…みよ…』と 川藤顧問。
岡田さん
(以下 Oさん)は
吉田義男監督時代
選手として優勝し
仰木彬監督の
オリックス時代も
選手として
優勝経験してるし
星野仙一監督時代は
コーチとして
優勝経験してる。
3人の監督の下で
優勝経験した
Oさんの 監督評価は…
吉田さんは
勝つための監督。
ベテランを意識せず
その年の最善の
メンバーを使って
策を打つ現場の監督。
吉田さんが
2度目の監督になった時
Oさんは現役。
阪神は 熟成された選手が
中心だったが
池田投手 中西投手 木戸捕手
平田(現二軍監督)内野手 ら
若手を抜擢してチームを作った。
吉田監督は 将来を見越して
選手を育てたり
チーム編成していく
タイプではなかった…とOさん。
オリックスで仰木監督と。
仰木さんは
鈴木一朗をイチローに
佐藤和弘をパンチの
登録名にしたりした
アイディアマン。
『そやったそやった』と 庶務のトラ子。
勝負に対する
執着心が すごかった。
しかし
4番を打って 結果を出した
選手を 次の試合に
はずすなんて光景はそれまで
見たことがなかったから
監督としての仰木さんは
よぅわからんかった…と Oさん。
しかし
それで勝つんやから
文句は言えんわ…。
それに
Oさんがコーチの立場で
仰木監督の考えを
選手に説明するのが
ほんま難しかった……と言う。
2003年
阪神を優勝させた星野さんは
吉田さん以上に
勝つことに 特化した監督。
強烈なリーダーシップの
持ち主。
星野さんは
勝つために チームを
変えられる監督
阪神就任1年目の
02年オフ 23人
全体の約Ⅰ/3 もの選手を
入れ替えたんや…デ。
コーチ陣も大きく変えた
生え抜きは田淵幸一さんと
岡田 和田豊くらい。
他は
佐藤義則
元巨人の西本聖
広島の長嶋清幸 達川さん
これまで 阪神とは
縁のない人ばかり。
コーチまで
見事に違う血をいれて
一変させたんや。
星野さんのやり方は
毒薬にもなるだけに
長続きしにくいという
懸念もあるわな…
『そらそうよ』と 顧問。
阪神の1985年の優勝は
21年間も優勝から
遠ざかっていたんやけど
Oさんは
79年のドラフトで
早稲田大から入団したが
周りは能力の
高い選手ばかりで
これで
なぜ 勝てないのか
不思議で
ならなかった…と 言う。
ほんなら
なんで
85年の阪神が
勝てたんか?
大きく分けて
要素は ふたつ
ひとつは 打ちかって
優勝という評価やけど
打線がうまく機能したのは
あの年は
故障がちの野手に
禍が巡ってこなかった
幸運が あったと言う。
Oさん本人も
右足の大怪我していたが
85年は完調に…
腰に不安の
掛布さんも85年は
体調が良く
膝に問題があった
真弓明信さんは
2塁から外野に転向し
打撃に好影響した…
様々なプラス要素が
85年に集中…
優勝するときというのは
自分たちの力が
及ばないところでの
運などの
めぐりあわせも
かかわってくるものや。
85年の阪神は
主だった選手は 以前から
在籍していた顔ぶれで
変わったのは
監督ぐらい
吉田さんは
外部からの補強に
頼るのではなく
既存のメンバーの
コンバートなどで
内部を大胆に動かして
チームを再構築したんや。
Oさんも
外野に回っていたが
85年は 真弓さんと
ポジションを代えて
2塁に戻った。
真弓さんとOさんの
コンバートは
お互いの攻守に
プラスは もちろん
遊撃に 守備力のある
平田(現2軍監督)を
固定できる副産物も産んだ。
ところで この阪神に
再び
暗黒の時代を
迎える危険性が
眼の前にある…と いう。
かって
暗黒時代に突入した
いちばんの問題は
発生した球団内の問題を
上手く処理できなかった
フロントの無能力…。
最近の阪神の
チーム事情に似ていて
同じような
危険な兆候にある…と言う。
指導者の人材不足
過去の歴史と
照らしあわせてみると
今の阪神も
危ない時期に
差し掛かっていると言う。
Oさんは
監督になると
チーム全体を見渡すので
視界は 横に広がり
視野のなかに
フロントも入ってきて
高さが加わり
つまり
プロ野球の世界が
立体化していった…という。
この経験から
勝てるチームと
勝てないチームには
グランドの結果だけではない
理由が…
プロ野球は
現場の力だけでは
勝てない…
勝敗を左右する
根幹に球団の
意思決定機関である
フロントの存在
両者の視線を一致
させてすすむ それが
勝利へと至る
道筋であるのや…と。
これ 岡田さんが
かれこれ
『10年前
書いた事や…デ』と
横町の大旦那。
参照書籍
2014年球春
そらそうよ
勝つ理由 負ける理由
岡田彰布 宝島社
す
すんまへんな
拙攻 抜け出せぬG
代打 若林 バント失敗
巨人も
阪神みたいな事やってる。
巨人 広島 阪神
監督の采配で
決まる
最後の激闘…残り3試合。
こちら道修町研究所
今成主任の得意先まわり
空堀商店街で
『昔 優勝したきりやな…阪神』と
歳とったおばぁさん。
『トラの監督?どない?』と
これまた おばぁさんに
たんねてる。
たんねてる≒聞いてる
そうとう
トラキチのふたり。
これが最後で
『岡田はんやろ…か』
どっちゃにしても
すんまへんけど
こっちが死ぬまでに
『優勝してほしい…わ』と。
星野監督 田淵コーチ
みんな笑顔やった…
優勝パレードの時
御堂筋は 人が多いと
予想して…
堺筋の道修町
あたりで観た…なぁ
あんた…
すんまへんな
『ワテ 行ってないがな…』
もいっぺん(死ぬまでに)
パレードをみたいなぁ…と。
さてさて
いつ実現するのやら…
有力候補のひとり
『岡田さんについて
ちょっと 考えて…みよ…』と 川藤顧問。
岡田さん
(以下 Oさん)は
吉田義男監督時代
選手として優勝し
仰木彬監督の
オリックス時代も
選手として
優勝経験してるし
星野仙一監督時代は
コーチとして
優勝経験してる。
3人の監督の下で
優勝経験した
Oさんの 監督評価は…
吉田さんは
勝つための監督。
ベテランを意識せず
その年の最善の
メンバーを使って
策を打つ現場の監督。
吉田さんが
2度目の監督になった時
Oさんは現役。
阪神は 熟成された選手が
中心だったが
池田投手 中西投手 木戸捕手
平田(現二軍監督)内野手 ら
若手を抜擢してチームを作った。
吉田監督は 将来を見越して
選手を育てたり
チーム編成していく
タイプではなかった…とOさん。
オリックスで仰木監督と。
仰木さんは
鈴木一朗をイチローに
佐藤和弘をパンチの
登録名にしたりした
アイディアマン。
『そやったそやった』と 庶務のトラ子。
勝負に対する
執着心が すごかった。
しかし
4番を打って 結果を出した
選手を 次の試合に
はずすなんて光景はそれまで
見たことがなかったから
監督としての仰木さんは
よぅわからんかった…と Oさん。
しかし
それで勝つんやから
文句は言えんわ…。
それに
Oさんがコーチの立場で
仰木監督の考えを
選手に説明するのが
ほんま難しかった……と言う。
2003年
阪神を優勝させた星野さんは
吉田さん以上に
勝つことに 特化した監督。
強烈なリーダーシップの
持ち主。
星野さんは
勝つために チームを
変えられる監督
阪神就任1年目の
02年オフ 23人
全体の約Ⅰ/3 もの選手を
入れ替えたんや…デ。
コーチ陣も大きく変えた
生え抜きは田淵幸一さんと
岡田 和田豊くらい。
他は
佐藤義則
元巨人の西本聖
広島の長嶋清幸 達川さん
これまで 阪神とは
縁のない人ばかり。
コーチまで
見事に違う血をいれて
一変させたんや。
星野さんのやり方は
毒薬にもなるだけに
長続きしにくいという
懸念もあるわな…
『そらそうよ』と 顧問。
阪神の1985年の優勝は
21年間も優勝から
遠ざかっていたんやけど
Oさんは
79年のドラフトで
早稲田大から入団したが
周りは能力の
高い選手ばかりで
これで
なぜ 勝てないのか
不思議で
ならなかった…と 言う。
ほんなら
なんで
85年の阪神が
勝てたんか?
大きく分けて
要素は ふたつ
ひとつは 打ちかって
優勝という評価やけど
打線がうまく機能したのは
あの年は
故障がちの野手に
禍が巡ってこなかった
幸運が あったと言う。
Oさん本人も
右足の大怪我していたが
85年は完調に…
腰に不安の
掛布さんも85年は
体調が良く
膝に問題があった
真弓明信さんは
2塁から外野に転向し
打撃に好影響した…
様々なプラス要素が
85年に集中…
優勝するときというのは
自分たちの力が
及ばないところでの
運などの
めぐりあわせも
かかわってくるものや。
85年の阪神は
主だった選手は 以前から
在籍していた顔ぶれで
変わったのは
監督ぐらい
吉田さんは
外部からの補強に
頼るのではなく
既存のメンバーの
コンバートなどで
内部を大胆に動かして
チームを再構築したんや。
Oさんも
外野に回っていたが
85年は 真弓さんと
ポジションを代えて
2塁に戻った。
真弓さんとOさんの
コンバートは
お互いの攻守に
プラスは もちろん
遊撃に 守備力のある
平田(現2軍監督)を
固定できる副産物も産んだ。
ところで この阪神に
再び
暗黒の時代を
迎える危険性が
眼の前にある…と いう。
かって
暗黒時代に突入した
いちばんの問題は
発生した球団内の問題を
上手く処理できなかった
フロントの無能力…。
最近の阪神の
チーム事情に似ていて
同じような
危険な兆候にある…と言う。
指導者の人材不足
過去の歴史と
照らしあわせてみると
今の阪神も
危ない時期に
差し掛かっていると言う。
Oさんは
監督になると
チーム全体を見渡すので
視界は 横に広がり
視野のなかに
フロントも入ってきて
高さが加わり
つまり
プロ野球の世界が
立体化していった…という。
この経験から
勝てるチームと
勝てないチームには
グランドの結果だけではない
理由が…
プロ野球は
現場の力だけでは
勝てない…
勝敗を左右する
根幹に球団の
意思決定機関である
フロントの存在
両者の視線を一致
させてすすむ それが
勝利へと至る
道筋であるのや…と。
これ 岡田さんが
かれこれ
『10年前
書いた事や…デ』と
横町の大旦那。
参照書籍
2014年球春
そらそうよ
勝つ理由 負ける理由
岡田彰布 宝島社
Posted by どんならん
at 12:41
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